ヴァレリー「蜜蜂」詩の翻訳とイメージ。
詩の翻訳とイメージ。
同じ文章を訳していて、こうも違うと驚く。
それは日本語や芸術、イメージに関わる全てに言えると思う。
亜麻色の蜜蜂よ きみの針が
いかに細く鋭く命取りでも、
(……)
刺せ この胸のきれいな瓢を。
(……)
ほんの朱色の私自身が
まろく弾む肌にやってくるように!
素早い拷問が大いに必要だ。
亜麻色の蜜蜂よ、おまえの鋭い
針が、たとえ死をまねきよせても、
わたしのやさしい胸の花籠には、
夢のようにあわいレースを着せただけ。
刺せ、その胸の美しい瓢を、
そこには愛が消えがてにまどろんでいる、
わたしの真紅のひとしずくが
まるい頑な肉の面に滲みでるように。
わたしはすみやかな苦痛をねがう。
よどむ責苦にくらべれば
一刻のはげしい痛みをえらぼう、
わたしの感覚よ、照らしだされてあれ、
ひと刺しの金色のかぼそい警告に、
これがなければ、愛も消え、また眠ってしまう。
お前の針が 蜜蜂よ
どんなに繊細で どんなに致命的でも
わたしはただ 薄紗のような眠りで
お前の一撃を受け止めるだけだろう
わたしの胸のふくらみを刺しておくれ
そこには愛がまどろんでいる
刺されたあとには小さな斑点が
丸い肉にそって浮き出てくるだろう
すばやい一刺しでわたしを見舞っておくれ
強烈だけれど限りある痛みのほうが
果てのない鈍痛よりも耐えやすいから
わたしの感覚が
小さな金色の傷に警戒し
愛が死んだり眠り込んだりしないように!
抽象度が高い翻訳ほうが、イメージ出来た時の自由度があって好きだけど、意味が分からなかったりイメージ出来なかったりする。
逆に説明的すぎる翻訳は、抽象度が低く窮屈な印象で、3つ並べてはじめてわかった気になる。