ループ、マシンビート、ディープリスニング

偶然性の音楽は、それはそれで良いけど。作品として形を整える段階になると、偶然生まれたものだから、手を加える事が難しい。プロセスが不在というか?一過性で瞬間の閃きで生まれた音楽だから、展開が難しい。今までの制作は、偶然生まれる音をただ待つだけの場合が多かった、受動的というか、

いま意識的にやってるワンループをずっと聴いて、音が頭の中で細部までイメージできるまで聴きこみながら制作していく方法はいいアイディアだ、何がこの音楽にとって最善の音なのか考えながら、イメージしながら、無限と思われる音の組み合わせを一つ一つ確かめてみる、地味な作業だけど、音が頭の中で具現化出来て物のように感じられていれば退屈と感じない。それは、ピアニストが紙とペンだけで譜面に音符を書き入れるようなイメージに近いのかもしれない、紙とペンで音楽を作れる力。

コンピューター、マシンビート、機械が産み出す音楽であり、そこから生命が感じられる音楽、自然界に溢れる様々な周波数、マシンビートに自然らしさ、自分なりのうねりを持ち込む、
音楽を現象として、音楽を自然物のようにモノとしてあらわせるか、


一つ謎が解けた気がする、今まで自分の音楽がどうしても愛着が湧かなかった、自分が作った物とあまり思えなかった、理由は受動的そして偶然が産まれるのを待っていた制作のスタイルに原因がある気がする。音に対して少々受け身すぎた、制作者としてでなく観察者としての比重が多かった。

ここまで雄弁に語ったが、音として立ち現れるか、
疑問だが、とりあえずこれからだ。