「どうやって音楽を作るのか?」

「どうやって音楽を作るのか?」

どうやって音楽を作るのか?楽器で、PCで、色々な方法がある。どのようなアプローチで音楽を作るのか?自分の場合は打ち込み、機材はPCや諸々シンセサイザー

最近考えてる事は、他人が創り上げた方法論は当てにならないということ。
特に自分のような楽器を使わないで音楽を作る人間は、そうだと思う。


シンセサイザーやPCは自由度が高いように思える、自由なかわりに、しっかりとしたルールが無いと、散漫な音楽になってしまう。楽器を扱うミュージシャンと違い、そこには縛りがない。楽器を巧く使いこなすには、身体的な訓練が必要で、不自由の中から自由が産まれてくるイメージか?
コンピューターの場合は、そこが抜け落ちている、楽器でいう身体的な訓練に当てはまる部分が最初から剥き出されている、この剥き出しの自由にどういうアプローチで挑むのか。そこは大事な気がする。

自分が好きになる音楽は、新しい競技のようなイメージか?例えばBPMをどうするのか?、ベース、キック、スネア、メロディー、その他諸々の要素を自分が決めたルールに合わせて進めて行く。シンセサイザーやコンピューターがそもそも新しい音色なり方法を作り出すために開発されているのを踏まえていえばミュージシャンは、新たな音楽(競技)を発明する。エレキギターがロックを産んだように、サンプラーがヒップホップを産んだように。

この流れは、コンピューターが個人で購入する事が出来るようになったテクノロジーの発達と関係がある、大きな組織やグループに属さず一人でトライ&エラーを繰り返せる環境が手に入った。

問題は音楽環境がフラット化した今どのようにして新しい音楽が産まれるのか?

模倣や真似だけしていてもダメで、
ミュージシャン(好きなアーティスト)がルールを決めてるからその競技(音楽)で競っていたら勝ち目が無い、オリンピック選手に、アマチュアが挑むようなもので。頑張れば勝てるかもしれないけど、その間も彼は、ルールを変えて来るので虚しい努力だ。(同じ競技で競う場合、ライバルがいないと盛り上がらないのは、前提としてもちろんある。)

それを避ける為には、自分で新しい競技を作るしかない。
今までの競技を参考に、観客が喜ぶ競技を。
そこで競技のルール(方法論、どんな音楽をどうやって作るのか?)が大切になるように思える。

飽きないように、面白がれるように、そのために何が必要なのかを考えている。
閃きや感覚は、忘れやすい。音楽を作る時、最初の段階が1番自由に感じる、後は空白なキャンバスが徐々に埋まり、音を足していくが不自由になる、音が積み重なるに連れ、運動性=規則性が産まれてきて、そこから逃れようとする気持ちと、逃れられない気持ちのせめぎ合いが起こっているようにも感じる。

色々考えて急に馬鹿らしくなってきた、時間が空くと違う考えが浮かんでくるし、
作っている中でしか得れなかったり、カテゴライズでしか評価の軸が無い事の虚しさ、音の捉えどころのなさ、音を所有出来ると思い込むことへの空虚。
この話、オチが無い。

いきなり広がる虚空。天頂。また夕方だ。夜ではなければ夕方だろう。不死の日がまた死にかけている。一方には燠。一方には灰。勝っては負ける終わりのない勝負。誰も気づかない。ーサミュエル・ベケット

何度やってもダメだって、それがどうしたというんだい? 
もう一度やって、もう一度ダメになればいいじゃねえか。
以前よりマシだったら、それでいいさ ーサミュエル・ベケット

この人の本二冊買ってまだ通読出来ていないけど、そんな風な本だ。


だいぶ前に作った曲、久しぶりだ。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。2015年の始まり!

初詣でに行き、おみくじで大吉だったので2015年は良い年になれば幸いと思っています。

去年やここ最近の自分の変化が面白く、物欲や欲が昔に比べ無くなってきている。
否定的に思われるけど、冷笑的で淡白になったと言えるか?大人になったと言えるか?
若いうちは、自分の可能性に苦しむもので、年を取ると可能性が狭くなる分、今までやってきたことがよく見えたり、やりたい事がよく見えたりする。
可能性という視野が狭くなったおかげで細部がよく見えるのか?

結局最後まで手放さなかったものが残った。そこから始まる。

で、ここ最近作っていた音楽もつまらなくなってしまった、今年また1から作ろうと考えている。
煮詰めてないアイディアやプランは沢山ある毎年1枚アルバムを出すことが、チャレンジングなことだし歓びに感じています。
一つ一つの変化や感情の動きを大切にして、今年一年の時間から多くの学びと気づきを享受したい。

矢部直さんを招くにあたって、あの頃の思いで。

今回、矢部直さんを招くにあたって色々感慨深い。

そもそも音楽にハマったのはhiphopだった、特にjazzyなヤツで。ネイティブタン一派やDJプレミアを中心としたギャングスターファンデーション周辺作品。特にトライブ、ルーツ、ファーサイドギャングスターが好きだった。
聴けば聴くほど、もっと深くてドープなものが聴きたくなる音楽の不思議、ジャズ=カッコイイみないな頭になっていた、当時中学3年位で情報も金も無かったけど、兄貴がDJをやっていたから、いつも家でヒップホップが流れていた。

いまじゃ考えられないけど情報に飢えていた、当時大沢伸一がラジオをやっていて、ジャイルスピーターソン周辺だったりmo'waxの音楽を流していた、聴いた事のない音楽に出会った時の驚きは特別なものでティーンエイジャーの特権だと思う。hip hopである程度音楽を聴く下地が出来ていたから、なおさら理解出来たし、衝撃を受けた。どんな音楽を聴くのか選んでいるつもりが、時として作品に自分が選ばされていることがある。そういう思いを持っているDJや音楽ファンは大勢いると思う。そんな風にして新しい音楽と出会った。

そして、その流れで日本にも世界的に勝負出来る音楽のシーンがある事を知った。
UFO、MOND GROSSO、DJ KRUSHTEI TOWAKyoto jazz massiveなど
当時読んでた雑誌「groove」で、このアーティスト達は、年末号の座談会のメンバーだったりして、羨望の眼差しで通読した。彼らの音楽は海外からリリースされたり、リミックスされたり、海外のチャートを賑わしたりしていた。

最初に聴いたUFOは、ジャズアーティストが参加したオムニバス・アルバム「Red Hot+Cool」の「Stolen Moments」で、ドナルドバードとGURUが共演したり、ルーツとロイエアーズが一緒にやっていたり、今思えばオトナな一枚だった。非ミュージシャンがジャズの曲を作るってのが、刺激的だ。リアルタイムではじめて買ったUFOのアルバムは、「Bon Voyage」だったのかな、高2くらいで、1999年の作品。当時はレコードバブルでufoのアナログは、プレミアが付き高嶺の花だった。

今これ書きながら、ufo聴いてるけど、あの頃聞き逃していた音が聞こえて来る、10年、20年と時間の経過に耐えられる音楽。新たな発見を託し、期待して眠るレアグルーヴ精神、将来「あの頃」のufoの音楽をまた再発見すると思う。

ってな訳で、12月27日のイベントよろしくお願いします。オールナイトイベントなので遅くてもやってまーす。
最近配信した「WET HEARING」のCD盤もイベントで売ります。ジャケットを渋谷の印刷屋で試行錯誤して作りました。紙選びが面白くて、数枚違う紙が混じってます。限定23枚!!ビールOR¥500で商談成立です。iTunesが¥1050なので、ほぼ単価代でバーゲンです。


冷静に考えて凄い時代になったな。

コンピュータで音楽作っているのにITやテクノロジーに対してちょっと醒めていた。冷静に考えて凄い時代になったな。

1年位前にはじめてiPhoneにしてスマホデビューした、それまでパケホーダイにも入ってなかったのでケータイ代は、倍近くになったけど今さら戻れない感ある。スマホにしてフェイスブックツイッターを使い始めて、世界に開かれたツールが手元にある。

色々な使い方があるんだろうけど、大人になってから使いはじめたので。今の10代の人とかに比べて保守的な使い方しか出来てないんだろうな。
ちょっとソレはマズイな、と最近考えて始めてる。
ここまで手軽に情報を発信出来るようになったのって、たかだか10年くらい前の話で、まだまだこの新しいツールの表現方法に慣れていないと気がついた。
テクノロジーが進んでいても、自分のマインドはこのツールが無かった時代のままだ、包丁は、調理にも使えるし凶器にもなると言う話で、凶器の側面ばかり目がいっていた。

何で凶器の側面ばかり見ていたのか考えてみると、マスメディアや広い意味で新聞、TV、出版社、大企業、など既得権益層の悪い影響を未だに受けていたからで、(より正確に言えば、それらが醸し出していた空気感だ)
なぜそんな空気感が産まれたのかと言えば、彼らにとってこのツールは、自分達の利益や権益が損なわれる危険なツールだったから、彼らが保守的になるのは当たり前だ。
実際、独立系の面白いメディアがたくさん産まれてるし。アメリカだと新聞がバタバタ潰れたりしてる。今じゃツイートがTVに流れる時代になったけど。
自分自身もYouTubeのチャンネルもったり、iTunes音楽配信したり。少し前だと大きな企業に属さないとできない事が個人でしかもローコストで出来るようになった。
今まで独占的に扱われていた、情報やコンテンツが一般の人にも手軽に扱えるようになってきて、今までのシステムが危うくなってきている。それは、イコール新しいシステムが必要になったって事で、システムを個人で構築出来る時代になった。

この事を公平に語れる人は、メディア側、アンチメディア側、両方にいない気がしていて、誰も信用できない。
使い方次第で毒にも薬にもなるから、自分や社会にとって薬になるような実践や実験をして行くのが正解なのだろう。
(先進国で問題となっている民主主義の限界ともいえて、難しい。ヒントとなるのは、共同体自治、エコシステム、グローバリズムの良さを活かしつつのローカリズム、知の共有など色々あるけど考えはまとまっていないです。)

個人と個人が民主的にネットワーク上で繋がれるようになったのは面白い事で。ツイッター上のタイムラインは、いつも誰かが誰かを罵倒してる(その逆もある)、それは民主主義的で、カオティックでノイジーで微笑ましい。良くも悪くも民主主義は、カオティックでノイジーなんだと実感してる。特に選挙期間中のツイッターは、罵詈雑言の乱れ打ちで、カオス&ノイジーだった。逆に大手メディアは、静かに淡々としていた印象で、その対比が面白く、メディアは大企業のスポンサーをバックに静かなファシズムを体現していた。第4の権力と言われる報道の姿がそこには無く、政治の事を語れる力は、もう残ってない。芸能ネタとバラエティー永久機関のように繰り返す装置として生きながらえて欲しい。

で今回は、選挙に引っ張られてこんな事書いてしまったけど。そもそもこのTEDの動画を見て、可能性や理想の社会のあり方など面白いアイディアが浮かんだので
そんな事を考えてみた。(結構前に、ブログでTEDディスってたけど、この伊藤穣一さんの考え方は凄く共感した。)

広めるか死ぬか?面白い考えかたで。
新しいメディアにダイブし上手にドライブする事!!

何度目かの反復

何度目かの反復、

ニューアルバム「WET HEARING」のミュージックビデオ作りました。
https://itunes.apple.com/jp/album/wet-hearing/id939484205
この曲「FOR THE QUIET LIFE」は前にも違うバージョンで撮影しましたが。今回アルバムに収録することになり新たに撮影しました。



撮影場所は、吉見町八丁湖。アルバムのジャケ写の場所でもあります。四季を感じられる素敵な場所で、夏には蛍がいます。(20才を過ぎて初めての蛍体験だったので驚きだった、特に蛍を保護しているような様子は無いので天然のだと思う。)
湖の周辺の山には黒岩横穴墓群と呼ばれる古墳があり。一説には吉見の百穴より大規模らしく500個以上の穴があるのではと推測されているらしく、まだ正式な調査はされてないみたいです。
一種のスピリチュアル空間で気分がフラットになって制作意欲が湧きます。
百穴は古代の人の墓のあと。
(埼玉県郷土カルタより、小学校の思い出間違ってるかも!)

「wet hearing」配信開始,全曲解説

「wet hearing」配信開始しました。
iTunes store https://itunes.apple.com/jp/album/wet-hearing/id939484205



このアルバムは、「unfinished soundscape001」の流れをうけての作品で、内省的なイメージ中心の作品になっています。
1stの制作と重なる時期の作品もあり、「過去」の感性と「今」の感性のコラボレーション的な意味合いで作るきっかけを得て完成させていきました。
以下、このアルバムの全曲紹介です。


1 for the quiet life 2012年7月

2011年3月11日の東日本大震災原発事故の混乱で一年も経っているのにまだ色々考えがまとまらず、混乱していた時期だと思う。せめて音楽の中だけでも安らげるような曲を作りたかったんだろう。
(作った当時のヴァージョンはyoutubeにアップしてあります)

話が前後しますが、この曲を作る前の2009年10月頃に岩手県宮古市に仕事の関係で2、3日滞在していた、空き時間にフィールドレコーディング用に購入したばかりのICレコーダーで浄土ヶ浜という名勝で波の音を録音した。
景色も名前に恥じない美しさで波の音も気持ちよかったのでいつか曲に使おうと軽い気持ちで。
その後3.11津波が起きた、手元に東北地方の波の音が残った。最初は聴くことが怖かったし、どう使っていいのか分からなかった、時間が経って、忘却しないために、ずいぶんと前に出来ていたこの曲の頭と終わりに波の音を足しました。
繰り返す波の音は、「1/fゆらぎ」 の性質を持っている、この1/fゆらぎに対しての感じる心地よさは、文化、環境、地域などによって色々な感じ方があると思います。
音量ではなく低音域の周波数を高音域まで徐々にフェードアウトさせてこの音楽に馴染ませた。


2 fall 2012年9月  

この曲も制作は2年前で大体カタチになっていて寝かしていた作品。今回新たにシンセの音をフィードバックさせたり、曲の流れの『間』を大切に扱う様に心掛た。活躍したシンセの音は、ACCESS VIRUS TIこのシンセは楽器屋で試奏して音の良さにビックリした機材、周波数域が豊なんだろうけどどこか暖かくて、デジタルじゃないような響きでお気に入り。
logicに最初から入っているソフトシンセも優秀で、フィードバックの音はlogicのソフトシンセです。
1stアルバムを出した当初は1stの流れをシリーズ化してリリースして行こうと思っていた。『unfinished soundscape 002』とかにしてポコポコ良い曲が作れるんじゃないかと、今思うと配信したての喜びや開放感で楽観的に考えていました。アルバムを出すにつれ、もっと明確な『主題あるいは意味』のようなものが必要だと感じました。ただでさえ曖昧な音楽なので、それを当てはめるような枠のようなのモノが必要な気がしています。

   
3 melancolia 2010年9月

この曲がこのアルバムの中で一番古い2010年9月11日制作開始。偶然だろうけど9.11アメリ同時多発テロの9年後の日にファイルが作られていた。1stに入れようか悩んでいた曲で結局入れなかったと記憶しています。
当時は今より沢山の音楽を聴いていたからこの手の音楽に飽きていたのかな。
作曲者にとって作品に飽きるという事は、凄くショッキングで目を背けたい出来事です。
アルバムを作る事になりあらためて聴き直してみると、結構良いと思えた。出だしのホーンの音を足したりノイズの配置や周波数をいじくったり所々微修正して仕上げて行った。
この作品は当時、自分の制作に影響を与えたWilliam Basinskiというアーティストに触発されて作ったものの一つで。彼の音楽の特徴は、アナログテープに音楽を焼き付けそれをループないしコラージュによって、音の失われるさま(テープの劣化によって)それからその劣化によって新たな響きが産まれるようすを表している点に代表されると思う。 彼の代表作 The Disintegration Loopsも偶然にも9.11を主題にしてる。


4 for mist  2014年8月

この曲は、アルバムの中で一番最近の曲で。最初はダンストラックを作るつもりが、徐々に電子音響系の音楽に変わって行きました。BPMも123とダンストラック用の速さなんですが、BPMの割に遅く感じられると思う。
最近の制作手法として、周波数をオートメーションでリアルタイムにコントロールして音の混ざり具合や、響きに効果を出すようにしてます。微妙な音の変化にも耳は敏感で、可聴域周辺(20Hz〜20KHz)や可聴域以外の音も耳(身体)は、音の気配として反応します。料理でいうなら隠し味でスパイス的に高周波、低周波を使っている。
(配信だと圧縮されてしまいますが、音の残滓は残るはずです。)

5 snow 2011年6月 

1stアルバム『cat nap』からの変形で寒々としたサウンドスケープが気に入ってます、冬にリリースするので季節感も意識しました。アルバムタイトルとも共鳴する部分です。
これも周波数コントロールで、ビートが徐々に浮かび上がったり、沈んだり、リヴァーブをコントロールしたりして、単調になりがちな自分の音楽に複雑さを表しています。これもACCESS VIRUSが活躍した作品。タイトルの通り制作途中から雪をイメージして変形させて行きました、豪雪地帯のドカドカ降る様な雪。


6 flowers 2012年3月

映像と共にyoutubeにアップして宙ぶらりんになっていたビートレスのアンビエント作品。あまり覚えていないけど結構速く出来上がった曲で、logic付属のソフトシンセSculptureが活躍、このシンセは物理モデル音源と呼ばれるシンセサイズの方式で(多分)、出した音が常に揺らいでいる。振動中の(動いている)弦や棒をシミュレートしてサ ウンドを生成してるらしく、常に複雑な計算していてCPUを食います。このシンセには、まだ色々な使い方があり自分のイメージを具現化してくれます。
youtubeにアップした映像は、津波の被害のあった仙台郊外の国立公園の花の映像を多く使いました。(この土地には、偶然震災を挟んだ前後二度ほど仕事で行く事になった。そしてその事は大きな出来事でした。)海岸沿いの様子今まで経験した事がないほど、あまりにも悲しすぎて撮る気分にならなかった。
花の、美しさや儚さに惹かれたのだと思います。のちに読んだ本のタイトル『砕かれた大地に、ひとつの場所を』のタイトルを借りて『砕かれた大地に、花束を』を副題にした。

7 autumn steps 2011年9月

このアルバムの中でも異色なビートが強めな曲で、そのビート感が活きるように心掛けました。
リズムを刻んでいるノイズを際立たせたり後半のドラムのサンプリングの仕方など試行錯誤しました。 
ティーンエイジャーの頃よく聴いていた、hiphopやtrip hopの作法をコンピュータで置き換え、制御されたノイズ、Hi-Fiでエレクトリックな表現に使う。みたいなこと考えていたのかもしれない、この作品では手探りの状態でまだ深く掘り下げられる余地があると考えてます。 


曲に対して誠実に書いてきましたが、自分の気持ちとやはりどこか零れ落ちます。それは音楽の捕らえ所の無さからなんでしょう。
アルバムタイトルの想いは。
wet
湿潤、湿り、濡らす、湿す、潤す、ウエット、ねれた、湿生、
hearing
聴覚、聴取、ヒアリング、聴聞会、聞くこと、傍聴、審問、裁判、
です。気分的には、裁判と言うのが気に入ってます。音の湿りけを聴取する、濡れた音を聴く、iTunes上で世界に音楽配信された開かれた裁判。